令和6年度 北高日記

第3学期始業式 1月8日(水)

2025年1月9日 19時30分 [松北36]

各ホームルーム教室へのリモート配信(Wi-Fi環境の関係で、102HRは除く)で、第3学期始業式が行われました。
校長先生からは、サッカー部の活躍、受験を目前にした3年生への激励、とてつもない伸びしろがある若い皆さんへのメッセージ、そして竹内まりやさんの「今を生きよう」という歌の紹介がありました。(第3学期始業式 式辞
学び、成長する場で、皆さんがどのように成長していくのか…2025年、ますます充実した1年としましょう!

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果敢に挑んだ北高、美しかった!!

2025年1月3日 09時16分 [松北01]

真っ白の爽やかなセカンドユニフォームで駒澤オリンピック競技場を駆け抜けました。優勝を狙う堀越高校の壁は高かったですが、意地の1点を取り、終了のホイッスルが鳴るまでボールを追い続けました。北高史上最高の成績を残してくれたサッカー部は、皆様の声援を忘れず次のステージに進みます。競技場での、そしてテレビ&スマホ前での大声援、本当にありがとうございました。

サッカー部の挑戦は、これから大学受験本番を迎える多くの北高3年生にも勇気と希望を与えてくれたはずです。全てが繋がっています。頑張れ北高3年生!!

サッカー部の皆さん、皆さんには感謝しかありません。我々にも初めての景色を見せてくれて、本当にありがとう!!!

開始挨拶 開始挨拶2

応援3 開始直前5

開始直後6 応援4

スタンド7 スタンド8

電光掲示9 試合10

試合11 試合12

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堀越15 バス前1

度重なるお願いで申し訳ありません。同窓の方々をはじめとする、松山北高校にご支援・ご協力をいただいている皆様に、継続してお願い申し上げます。詳しくはこちらをクリックしてください。どうぞよろしくお願い致します。

青い旋風、西が丘競技場でも!ベスト16!

2025年1月1日 10時31分 [松北01]

明けましておめでとうございます。

元旦から最高の報告ができます!サッカー部、見事2回戦を突破して(1対0龍谷富山)、北高史上初のベスト16進出です!2回戦も”美攻賢守”で強敵を破り、勝利しました。次戦、ベスト8をかけ、あの堀越学園(東京A代表)と戦います。明日(1月2日12:05キックオフ)、駒澤陸上競技場でお会いしましょう!

開始前 試合中

勝利1 勝利2

年を越えての戦い継続となりました。嬉しい悲鳴です!同窓の方々をはじめとする北高関係者の皆様、お手元に届いている文書の通り、北高全体への引き続いてのご支援を深く深くお願い申し上げます。

”美攻賢守”で全国大会初勝利!

2024年12月30日 08時34分 [松北01]

6回目の選手権大会出場で、ついにやりました!強敵東海大山形に1対0で劇的勝利!川崎市とどろきスタジアムは、応援生徒、保護者、後援会、同窓生など、駆け付けてくださった方々の歓喜の渦に包まれました。松山北高校サッカー部を応援してくださったすべての皆様に感謝です。また、8年振りのこの大会出場をきっかけとして、松山北高校全体に多大なるご支援をくださった皆様に、改めて感謝申し上げます。

次戦は12月31日(火曜日)、味の素フィールド西が丘、対龍谷富山(富山県代表)、14:10キックオフです。

ご家族との大切な時間を過ごす年末年始、参加する応援生徒の健康面、当然予算の事等、諸々の事情により、次戦以降の組織だった応援はできませんが、まだまだ皆様のご支援とご協力が必要です。どうか引き続きの応援を切にお願い申し上げます。

サッカー部、おめでとう!そして、ありがとう!次戦も信じてるよ!!

フィールド1 フィールド&応援

応援スタンド1 応援スタンドアップ

勝利挨拶へ 勝利挨拶

兵頭イン 選手イン

山形 スコアボード

日本最強の城 「2024新春スペシャル」放映のお知らせ(郷土研究部)

2024年12月26日 09時05分 [松北16]

NHK総合テレビで、2025年1月2日(木) 午前10:20から放映される日本最強の城 「2024新春スペシャル」(再)において、昨年卒業した、郷土研究部元部長の大森真歩さんが出演し、道後湯築城を紹介します。
去年のお正月に放映されたものの再放送になりますが、歴史に興味のある方は是非ご覧ください。番組終盤に登場します。

令和6年度 部活動日記

サッカー部関連記事(広報まさき1月号)

2025年1月9日 10時02分 [松北36]

先日の高校選手権大会で見事ベスト16入りした本校サッカー部の、選手権前の取材記事が広報まさき1月号に掲載されましたので、ここで紹介させていただきます。

広報まさき2025-1月号

広報まさき1月号(令和7年1月1日発行)掲載
↑ リンクはこちらをクリックしてください。

松山北8強ならず

2025年1月4日 01時49分 [松北36]

松山北8強ならず                                        令和7年1月3日付愛媛新聞

20250103 サッカー8強ならず

(掲載許可番号:d20250103-04)

松山北16強 堅守で主導権

2025年1月4日 01時47分 [松北36]

松山北16強 堅守で主導権                     令和7年1月1日付愛媛新聞

20250101 サッカーベスト16

(掲載許可番号:d20250103-02

松北サッカー部 3回戦の結果

2025年1月2日 19時15分 [松北36]

第103回全国高校サッカー選手権
3回戦 松山北 1-6 堀越(東京A)

全国ベスト16!北高サッカー部の歴史を塗り替えました!
多方面からのたくさんのご支援、応援をありがとうございました!

松北サッカー部 選手権2回戦勝利!

2024年12月31日 17時53分 [松北36]

第103回全国高校サッカー選手権
2回戦 松山北 1-0 龍谷富山(富山)

初戦に続く無失点勝利で、初の全国ベスト16入りを果たしました

3回戦は1月2日12:05~、駒沢陸上競技場で東京A代表の堀越高校と対戦します。
皆様、応援よろしくお願いします!

松山北「全国1勝」

2024年12月30日 19時30分 [松北36]

「松山北『全国1勝』」                      令和6年12月30日付愛媛新聞

全国20241230 サッカー全国1勝

(掲載許可番号:d20241230-03)

松北サッカー部 選手権初戦突破!

2024年12月29日 19時20分 [松北36]

第103回全国高校サッカー選手権
1回戦 松山北 1-0 東海大山形

8年ぶり6度目の選手権出場で、見事初戦突破!
そして、念願の初勝利!
愛媛県勢の初戦突破は2019年の大会以来とのことです。

2回戦は31日14:10~、味の素フィールド西が丘で富山代表の龍谷富山と対戦します。
皆様、応援よろしくお願いします!

愛媛県高等学校選抜大会 女子ソフトテニス部 12月25日(水)

2024年12月26日 09時38分 [松北39]

県新人大会ベスト8以上の高校による県選抜大会が行われました。
松山北高校は1回戦で新田高校と対戦しました。結果は0-3と敗退しましたが、選手は粘り強く戦うことができました。次の大会は2月に行われる冬季高校ソフトテニス団体対抗戦になります。
いつも保護者や多くの方々の応援ありがとうございます。団体対抗戦も引き続き応援よろしくお願いいたします。

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「全国高校ソフトテニス」                     令和6年12月26日付愛媛新聞

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(掲載許可番号:d20241226-07)

卓球高校選抜四国予選 12月22日(日)

2024年12月25日 18時12分 [松北36]

「卓球高校選抜四国予選」                     令和6年12月24日付愛媛新聞

20241224 卓球四国選抜

(掲載許可番号:d20241224-05)

ハンド高校選抜県予選 12月22、23日(日月)

2024年12月25日 18時06分 [松北36]

「ハンド高校選抜県予選」                    令和6年12月24日付愛媛新聞

男女とも見事決勝リーグ進出を決め、男子2位、女子3位という結果でした。男子は来年行われる四国大会に駒を進めました。全国目指して頑張ってください!
また、ベストセブンに本校から男子2名、女子1名が選出されました。

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(掲載許可番号:d20241224-04)

男子テニス部 全国選抜高校テニス大会四国地区大会 団体 第3位

2024年12月21日 10時40分 [松北59]

11月16・17日に松山中央公園にて全国選抜高校テニス大会四国地区大会が行われました。代表決定戦で敗れたために、残念ながら全国大会出場とはなりませんでしたが、最後まで粘り強くプレーすることができました。

団体戦では全国大会出場という目標を達成できず悔しい結果となりましたが、来年の3月に行われる全国選抜高校テニス大会には、個人戦シングルスで2年生の武田壮さんが出場します。応援よろしくお願いします。

「新人戦中予地区大会のリベンジができて全国大会に出場することになり、とても嬉しいです。支えてくださった先生方や家族にとても感謝しています。来年の県総体では、団体戦・個人戦ともにインターハイに出場できるように日々精進していきます。」(武田さんコメント)

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クリスマス茶会(茶道部)

2024年12月19日 18時09分 [松北37]

茶道部は、12月18日にクリスマス茶会を開催しました。

クリスマスをイメージしたお道具やお花、お菓子を準備してお世話になっている先生方をお招きしました。招待する方の喜ぶ顔を想像しながら、そして私たち自身が楽しみながら、お菓子を考えたり招待状を書いたりしました。準備期間が短く、足りないところもあったかもしれませんが、イメージした通りの温かいお茶会になり、今年を締めくくることができました。また、年が明けたら、気持ちを新たにお稽古に精進したいと思います。

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お菓子は「雪だるま」でした。私たちが描いたイラストをもとに、もち平さんが可愛く美味しく作ってくださいました。ありがとうございました。

第13回とべ動物園写真コンクール

2024年12月19日 07時53分 [松北19]

写真部員[2年好永 陽翔さん・1年橘 飛鷹さん]が第13回とべ動物園写真コンクール[とべ動物園主催]で佳作を受賞しました。1年橘さんの作品は来年度のとべ動物園のカレンダー[5月の写真]に採用されました。

     賞状 橘 好永   カレンダー 橘

愛媛新聞記事紹介(サッカー部)

2024年12月18日 11時00分 [松北36]

「心身鍛錬 青春の情熱」                      令和6年12月18日付愛媛新聞

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(掲載許可番号:d20241218-04)

令和5年度 北高日記

転勤される先生のお見送り 3月29日(金)

2024年3月29日 18時04分

令和5年度末で転勤される管理職の友澤校長先生、小野山教頭先生を職員でお見送りしました。
松山北高校のためにご尽力くださり、ありがとうございました。
次の勤務地でも、お体を大切にし、笑顔でご活躍ください。
先生方に北高生の活躍が届くよう、生徒、職員ともに頑張ります!

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令和5年度 部活動日記

部活動報告(男子卓球部 セキ記念大会)

2024年3月28日 22時06分

セキ記念ジュニア選抜大会                                                             令和6年3月27日付愛媛新聞

本校卓球部2年 釣井 叶大さん が、見事決勝進出を果たしました!
決勝戦ではフルセットの末敗れましたが、次につながる試合内容でした。

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(掲載許可番号:d20240328-01

北高日記(令和4年度まで)

今治空襲で女子学徒24人犠牲 学友らが「涙の再会」(令和4年8月14日付産経新聞掲載)

2022年8月23日 12時20分

この記事は産経新聞 村上栄一氏のご好意により無償にて転載許可をいただいています。


セミの声が降り注ぐ愛媛県護国神社(松山市御幸)に松山北高校の生徒たちが集まっていた。「殉職女子学徒追憶之碑」の清掃奉仕に集まった約150人だ。77年前の8月5日、愛媛県今治市の空襲で、学徒動員で工場で働いていた松山城北高等女学校と、松山高等女学校の生徒合わせて24人が米軍機の機銃掃射で殉職する悲惨な出来事があった。そのことを知った現代の高校生たちが集まったのだ。

 逃げ惑う女生徒に機銃掃射
今治市は戦時中に3度にわたって米軍の空襲を受けた。最も被害が大きかったのは昭和20年8月5日夜から6日未明にかけての3度目で、市民をはじめ県内外からの動員学徒ら550人以上が犠牲になった。

護国神社の追憶の碑には、このときの空襲で命を落とした松山城北高等女学校の22人、松山高等女学校の2人の計24人の氏名が刻まれている。

5日夜、会社の寮にいた女生徒たちは浜辺の方角へ向けて列を作って走って逃げた。その長い列に向けて米軍機が襲い掛かった。

追憶の碑は昭和26年に松山城北高女同窓生有志の手によって建立された。以来、松山市内に住む旧友ら有志が清掃や献花などの奉仕を続けてきた。

「これら乙女達がその最期まで祖国に捧げた熱情は至純であった」。追憶の碑にはそう刻まれている。

生徒会が呼び掛け
松山北高校は明治33年、北予中学校として設立された。第4代校長を日本陸軍「騎兵の父」と呼ばれた松山出身の秋山好古が務めたことで知られる。昭和24年の学制改革による高校再編で旧松山城北高女などと統合し現在の校名になった。

コロナ禍で1年遅れとなった創立120周年の式典が昨年9月に行われ、友澤義弘校長が式辞で学校の歴史を振り返った。その中で「本校120年の校史上、最も悲しい出来事」として終戦間際の殉職を紹介したのだ。「どうしてもこのことは伝えなければと思った」と友澤校長は話す。

これを受け、生徒会が今年の8月5日に追憶の碑の清掃奉仕をしようと全校に向けて呼びかけた。

生徒たちは広場に集合。夏休み中の出来事などをがやがやと語り合っていたが、やがて数人のお年寄りが前に進み出ると、一転静まり返った。

犠牲になった女生徒たちの学友だった。高校生にとってはまさに大先輩。整列して腰を下ろした高校生たちを前に、前部キヨ子さん(91)は「私は横浜に住んでいます。きょう来たら、皆さんでいっぱい。77年前に返ったみたい。14歳で亡くなった友達に会えたみたいです」と優しく語り掛けた。

あせることない面影
追憶の碑の裏側には犠牲者の氏名がずらりと並ぶ。前部さんは視線をやり、指でなぞって、「この子とこの子は仲が良かった。きっと逃げるときも一緒だったでしょうね。ごめんね。77年も…」。台座に落ちた木の葉を素手で払いながら、涙にむせんだ。

松山市の山本サチヱさん(92)は悲劇の翌日、遺体が安置された小学校へ行った。「お手伝いに行ったのですが、死臭が激しくてね。しばらくして工場の寮へも行きました。ここでも何人か亡くなった。遺体はむしろをかぶせられていましたよ」と悲しい出来事を振り返る。「戦争とはいえ、逃げ惑う人を狙うとは。戦争はむごい」

車いすで訪れた松山市の佐々木圭子さん(91)も追憶の碑に手を合わせた。佐々木さんは「松山市の空襲(昭和20年7月26日深夜から27日未明)で自宅が被害に遭った人は家に帰りなさい」と言われ、今治市を離れ難を逃れた。

佐々木さんによると、工場の寮にいた生徒たちは長い列を作って、走って逃げたのだという。「後ろの方にいた人がみんな亡くなっているんですよ。忘れないですよ。顔が浮かびます」。車いすを押していた次女の佐々木昌子さん(55)は「母の体験を語り継いでいかなければと思います」と話した。

重信トシ子さん(93)は、空襲前に工場で指を切断するけがをして松山市の自宅に帰っていた。その自宅では松山空襲を経験している。

久しぶりに集ったかつての女生徒たち。清掃が一段落すると若々しい笑顔になり、後輩たちに囲まれながら旧交を温めていた。

若い世代が引き継ぐ
松山北高校生徒会長の2年、篠森珂奈美さんは「引き継いでいきたいという思いです」とまっすぐな思いを述べた。「90歳を過ぎても来られている方がいる。何十年経っても、友情は大事だなと思いました。感動です」。

生徒会の2年、相原颯さんは「生徒会主催でボランティアを募ったら、こんなにいっぱい来てくれた。感謝しています。戦争はだめだという思いが伝わってきて、隅々まで清掃しました」と話した。

同校の武井一郎教頭は、「77年間、友達を思い続けること。本当にあなたたちに見習ってほしいと思います」と集まった生徒たちに呼び掛けた。清掃奉仕を終えて「生徒がこんなに大勢集まるとは思わなかった。来年以降も生徒会に呼び掛けて続けていきたい」と話した。