乳児院へのプレゼント 2年生家庭科選択生
2025年3月28日 14時00分 [松北71] 2年生家庭探究の授業で壁面制作を行い、松山乳児院にプレゼントしました。季節にちなんだモチーフをグループで考え、アイデアを出し合いました。完成した壁面は、乳児院の各部屋、通路等に飾っていただけるそうで、季節の行事や植物等様々なモチーフに興味を持ってもらえたらと思っています。
2年生家庭探究の授業で壁面制作を行い、松山乳児院にプレゼントしました。季節にちなんだモチーフをグループで考え、アイデアを出し合いました。完成した壁面は、乳児院の各部屋、通路等に飾っていただけるそうで、季節の行事や植物等様々なモチーフに興味を持ってもらえたらと思っています。
本日、離任式が行われました。人事異動等により、本校教職員20名が北高に別れを告げました。
改修工事のため体育館が使用できず、多目的室からリモート配信を行いました。
お一人ずつ別れの挨拶を述べました。北高を、北高生を愛する先生方の言葉は、生徒たちの心にしっかりと刻み込まれたことと思います。
生徒代表挨拶のあと、生徒会から花束贈呈、そして先生方にとって最後の校歌斉唱。
たくさんの卒業生が駆けつけてくれました。
その後、卒業生、在校生が花道を作って、離任者のお見送りをしました。
今にも雨が降りそうな空でしたが、在校生卒業生の気持ちが通じたのか、離任式が終了するまで雨は待ってくれていました。
体育館が使用できない中でしたが、その逆境を乗り越えての本当に心温まる離任式となりました。
北高生の優しさに触れ、北高日記を編集しながら感動が蘇り、担当者は涙を流しながら記事をアップしました。
先生方の新天地でのご活躍を祈念しております。北高生のためにご尽力くださり、本当にありがとうございました。
「社会での活躍誓う 松山大」 令和7年3月20日付愛媛新聞
松山大学卒業式において、令和2年度卒業生 関根 舞衣さんが卒業生代表として答辞を述べました。
(掲載許可番号:d20250322-01)
おはようございます、松山北高校演劇部です。
さて、令和6年度は、様々な活動をしました。
4月は芸術文化発表会に参加し、5・6月は小野公民館や地域のホールでの上演。
8月は地区大会のコンクールに出場し、優秀賞を受賞。そのまま11月は県の高文祭のコンクールに出場して奨励賞(県内3位!)という結果を残しました。
文化祭では朗読劇を含めて二作品上演しました(生徒創作もあり!)
12月は寒い寒いと言いながら、小野小学校で劇を上演させていただきました。
そして、先月の2月は新人大会のコンクールに出場し、優秀賞(実質最優秀賞)を受賞しました!!
影が薄いと言われがちな演劇部ですが、去年度と今年度と、着実に知名度と実力を兼ね備えていっております。
いつも応援していただいている皆様のおかげです、ありがとうございます!
今年度も盛りだくさんの内容だった演劇部の活動ですが、実は演劇部という名前は、来年度から変わります。文化創造部(演劇・写真・放送)となります。
しかし! 活動は今年度と同じく、積極的にしていく予定ですので、引き続き、何卒よろしくお願い致します!
(もし新入生がこの記事を読んでくれていたら、ぜひ、見学しに来てください(^^) 見たことがない、感じたことがない体験が、君を待っている! かもよ!!)
3月19日(水)放課後、1・2年生とこの春に卒業した3年生との「合格した先輩と語る会」が開催されました。
文系・理系それぞれの会場で、卒業生が受験の報告や、進路決定の経緯、勉強方法や苦手教科の克服方法、1・2年生の時にやっておけばよかったことなど、自身の経験や失敗を踏まえてアドバイスをしていただきました。
全体会の後は、個別で先輩に具体的な話を聞いたり、質問したりできる時間もあり、これから春休みに入る1・2年生のモチベーションをあげてくれる良い刺激になりました。
新生活の準備で忙しい中参加してくれた卒業生のみなさん、本当にありがとうございました。
1・2年生は、先輩のアドバイスをすぐに実践して、新年度に向けての準備に取り組んで欲しいと思います。
【文系】
【理系】
本校卒業生の渡邊 茜さんが、全国大会の愛媛県予選で見事3度目の優勝を飾りました!
おめでとうございます!
「剣道・全日本女子県予選 渡辺(学校剣道連盟)3度目V」 令和6年4月8日付愛媛新聞
(掲載許可番号:d20240409-3)
呉青山中学・高校を訪れ、終日練習試合を行いました。
男子21勝87敗 女子10勝39敗 男女計31勝126敗
相手監督の「強い弱いではなく、とにかく一生懸命プレーしてほしい」という言葉が大変印象的でした。部内ではノータッチで抜けているボールをことごとく止められるどころか、上回る威力で返球され、全国区でプレーする高校生のレベルの高さを実感することできました。部員たちは圧倒されながらも、「楽しい!」と目を輝かせながら相手に挑んでいました。
呉青山中学・高校の皆様、ありがとうございました!
インターハイの舞台での再会を目指して、これからも日々頑張ります!
令和5年度末で転勤される管理職の友澤校長先生、小野山教頭先生を職員でお見送りしました。
松山北高校のためにご尽力くださり、ありがとうございました。
次の勤務地でも、お体を大切にし、笑顔でご活躍ください。
先生方に北高生の活躍が届くよう、生徒、職員ともに頑張ります!
「セキ記念ジュニア選抜大会」 令和6年3月27日付愛媛新聞
本校卓球部2年 釣井 叶大さん が、見事決勝進出を果たしました!
決勝戦ではフルセットの末敗れましたが、次につながる試合内容でした。
(掲載許可番号:d20240328-01)
この記事は産経新聞 村上栄一氏のご好意により無償にて転載許可をいただいています。
セミの声が降り注ぐ愛媛県護国神社(松山市御幸)に松山北高校の生徒たちが集まっていた。「殉職女子学徒追憶之碑」の清掃奉仕に集まった約150人だ。77年前の8月5日、愛媛県今治市の空襲で、学徒動員で工場で働いていた松山城北高等女学校と、松山高等女学校の生徒合わせて24人が米軍機の機銃掃射で殉職する悲惨な出来事があった。そのことを知った現代の高校生たちが集まったのだ。
■逃げ惑う女生徒に機銃掃射
今治市は戦時中に3度にわたって米軍の空襲を受けた。最も被害が大きかったのは昭和20年8月5日夜から6日未明にかけての3度目で、市民をはじめ県内外からの動員学徒ら550人以上が犠牲になった。
護国神社の追憶の碑には、このときの空襲で命を落とした松山城北高等女学校の22人、松山高等女学校の2人の計24人の氏名が刻まれている。
5日夜、会社の寮にいた女生徒たちは浜辺の方角へ向けて列を作って走って逃げた。その長い列に向けて米軍機が襲い掛かった。
追憶の碑は昭和26年に松山城北高女同窓生有志の手によって建立された。以来、松山市内に住む旧友ら有志が清掃や献花などの奉仕を続けてきた。
「これら乙女達がその最期まで祖国に捧げた熱情は至純であった」。追憶の碑にはそう刻まれている。
■生徒会が呼び掛け
松山北高校は明治33年、北予中学校として設立された。第4代校長を日本陸軍「騎兵の父」と呼ばれた松山出身の秋山好古が務めたことで知られる。昭和24年の学制改革による高校再編で旧松山城北高女などと統合し現在の校名になった。
コロナ禍で1年遅れとなった創立120周年の式典が昨年9月に行われ、友澤義弘校長が式辞で学校の歴史を振り返った。その中で「本校120年の校史上、最も悲しい出来事」として終戦間際の殉職を紹介したのだ。「どうしてもこのことは伝えなければと思った」と友澤校長は話す。
これを受け、生徒会が今年の8月5日に追憶の碑の清掃奉仕をしようと全校に向けて呼びかけた。
生徒たちは広場に集合。夏休み中の出来事などをがやがやと語り合っていたが、やがて数人のお年寄りが前に進み出ると、一転静まり返った。
犠牲になった女生徒たちの学友だった。高校生にとってはまさに大先輩。整列して腰を下ろした高校生たちを前に、前部キヨ子さん(91)は「私は横浜に住んでいます。きょう来たら、皆さんでいっぱい。77年前に返ったみたい。14歳で亡くなった友達に会えたみたいです」と優しく語り掛けた。
■あせることない面影
追憶の碑の裏側には犠牲者の氏名がずらりと並ぶ。前部さんは視線をやり、指でなぞって、「この子とこの子は仲が良かった。きっと逃げるときも一緒だったでしょうね。ごめんね。77年も…」。台座に落ちた木の葉を素手で払いながら、涙にむせんだ。
松山市の山本サチヱさん(92)は悲劇の翌日、遺体が安置された小学校へ行った。「お手伝いに行ったのですが、死臭が激しくてね。しばらくして工場の寮へも行きました。ここでも何人か亡くなった。遺体はむしろをかぶせられていましたよ」と悲しい出来事を振り返る。「戦争とはいえ、逃げ惑う人を狙うとは。戦争はむごい」
車いすで訪れた松山市の佐々木圭子さん(91)も追憶の碑に手を合わせた。佐々木さんは「松山市の空襲(昭和20年7月26日深夜から27日未明)で自宅が被害に遭った人は家に帰りなさい」と言われ、今治市を離れ難を逃れた。
佐々木さんによると、工場の寮にいた生徒たちは長い列を作って、走って逃げたのだという。「後ろの方にいた人がみんな亡くなっているんですよ。忘れないですよ。顔が浮かびます」。車いすを押していた次女の佐々木昌子さん(55)は「母の体験を語り継いでいかなければと思います」と話した。
重信トシ子さん(93)は、空襲前に工場で指を切断するけがをして松山市の自宅に帰っていた。その自宅では松山空襲を経験している。
久しぶりに集ったかつての女生徒たち。清掃が一段落すると若々しい笑顔になり、後輩たちに囲まれながら旧交を温めていた。
■若い世代が引き継ぐ
松山北高校生徒会長の2年、篠森珂奈美さんは「引き継いでいきたいという思いです」とまっすぐな思いを述べた。「90歳を過ぎても来られている方がいる。何十年経っても、友情は大事だなと思いました。感動です」。
生徒会の2年、相原颯さんは「生徒会主催でボランティアを募ったら、こんなにいっぱい来てくれた。感謝しています。戦争はだめだという思いが伝わってきて、隅々まで清掃しました」と話した。
同校の武井一郎教頭は、「77年間、友達を思い続けること。本当にあなたたちに見習ってほしいと思います」と集まった生徒たちに呼び掛けた。清掃奉仕を終えて「生徒がこんなに大勢集まるとは思わなかった。来年以降も生徒会に呼び掛けて続けていきたい」と話した。